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「源氏の男はみんなサイテー」

 源氏の男はみんなサイテー 親子小説としての源氏物語 源氏の男はみんなサイテー 親子小説としての源氏物語
販売元:TSUTAYA online
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内容(「BOOK」データベースより)
なぜ『源氏』の男たちはかくまでサイテーか?『源氏』の男たちは、「親子関係」の中でとらえて初めて、その男女関係も理解できるのだ。『源氏』は愛の物語、親子関係と恋愛関係、愛という同じ穴のむじなに生きる人たちの物語である。それは読み手の恋や親子関係に重なって、私たちの心をほぐし開いていく。幸せって何?という問いかけをはらみながら

また米原万理の書評より。

源氏物語は大和和紀の漫画「あさきゆめみし」で高校生の頃ハマり、円地文子、田辺聖子で読んだ。漫画のなかでは光源氏はあくまで「ヒーロー」頭の中将だって「いけてる親友」だったのに、え?サイテーなの?

読んでみると、まぁ、そりゃそんな事したら確かに晩年総スカンくらうよね、と納得させられる事しきり。キャリアウーマン紫式部は男性に「女の人を使い捨てにする男の晩年はこんなに惨め」って言いたかったのかな。

「あさきゆめみし」のヒーロー像はガラガラと崩れてしまう。でも、だけどもう一度田辺聖子あたりで読んでみようかな、という底力が源氏物語にはあると思う。今度は大塚ひかり視点も持ちながら。

瀬戸内静寂も現代語訳を出してるとの事。こっちから読んでみるのもアリかな。でも、なんだか説法受けてる気分になりたくはないなぁ。。

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